井出商店 中華そば 600円

井出商店 中華そば 600円

井出商店
和歌山県和歌山市田中町4─84
濃厚でコクがあるのにマイルド。豚骨を強火で沸騰させ、骨の髄からゼラチンが溶け出し、スープと脂がトロリと乳化。醤油のカドがうまくマスキングされてまろやかな口あたり。

アロチ本家 丸高 中華そば 600円

アロチ本家 丸高 中華そば 600円

アロチ本家 丸高
和歌山県和歌山市友田町2─50
スープは半透明、見た目あっさりだが、豚骨のコクがしっかり出て、醤油の風味とバランスがよい。シンプルベースに個性ある味わいが程よくブレンドされた感じで飽きない。


「中華そば」という呼び名が普通。麺はストレートで スープは、濁った豚骨醤油味と澄んだ醤油味の2通り

「中華そば」という呼び名が普通。麺はストレートで スープは、濁った豚骨醤油味と澄んだ醤油味の2通り

和歌山では「中華そば」という呼び名が普通。「ラーメン」というとインスタントラーメンがイメージされる。呼び名同様、味も見た目も昔ながら。懐かしい中華そばが堪能できる。
麺はストレートで量は少なめ。具はチャーシュー、メンマに青ネギという素朴なパターンに、なるとでなく渦巻き模様のかまぼこをのせる店が多いのが特徴。
ほとんどのお店に、テーブルに早寿司とゆで卵が置かれている。早寿司とはサバの押し寿司のこと。中華そばを注文してから出てくるまでの間に、お客はこれらをパクパク食べてしまう。中華そばを食べ終わった後、また早寿司をつまむお客もいる。控えめな量の中華そばのボリュームを補うとともにスープの味にもよく合っている。他の地域にはまず見られない独特のシステムである。
スープの系統は2通りに色分けされる。1つは濁った豚骨醤油味のマイルドなタイプ。もう1つは澄んだ醤油味の東京風に近いタイプである。
前者は1953年に創業した「井出商店」から始まる。当初はここも澄んだスープだったそうだが、煮詰まって濁らしてしまったところが、そのスープにコクがあったという。女手ひとつで店を切り盛りしていた井出つや子さん(故人)が生み出した、九州とは別な流れの豚骨スープである。この濃厚な味が人気を呼び、井出商店で修業して店舗を構えた店や、井出商店の味を目指して開店した店などが和歌山に広がり、“井出系”という一つの流れができた。
和歌山中華そばの原点は屋台文化にある。戦後、市電の駅近辺に中華そばの屋台が出るようになった。特に一番の繁華街である車庫前駅周辺には競い合うように中華そばの屋台が並び、賑わっていた。この屋台の流れをくむ、澄んだ醤油味の系統は「車庫前系」と呼ばれる。
車庫前系の源流を作ったのは、1940年に出店した「丸高」のご主人である高本光二氏(故人)。当時は物資がなかったため、鰹節とじゃこを醤油で炊いてだしをとり、麺も自分で機械を作って打っていた。この高本氏の屋台が人気を呼び、忙しいときには近所の人が家族ぐるみで店を手伝った。使用人を8人も使っていた時期もあったという。このとき働いていた人々や、見よう見まねで覚えた人々が屋台を構えていったのが、和歌山中華そばの基盤となっている。
高本氏が麺作りのレシピを製麺業者に伝えて、大量生産を可能にしたことも、和歌山に中華そば文化が広がった要因の一つである。「丸京」「丸宮」「丸木」など、高本氏の「丸高」に習って、自分の名前の頭に丸を付けた屋号が和歌山には数多い。丸高の屋号は光二氏の長男在一氏と、弟の英一氏がそれぞれ引き継いで味を守っている。
光二氏の妻順子さん(当時74歳)の話によると、丸高以前にも屋台を引いていた店は存在していたらしい。丸高が屋台を出したのが1940年。関西ラーメンの始祖的存在である京都の「新福菜館」が1940年創業。九州ラーメンのルーツとされる「南京千両」が1937年創業。
和歌山の屋台がいつから出ていたかは定かではないが、西日本では両者と肩を並べるほどの古くから存在するラーメン処である。醤油や鰹節の発祥地である和歌山には、古くからラーメンが存在する基盤があったのかもしれない。

adminご当地ラーメン徹底研究井出商店 中華そば 600円 井出商店 和歌山県和歌山市田中町4─84 濃厚でコクがあるのにマイルド。豚骨を強火で沸騰させ、骨の髄からゼラチンが溶け出し、スープと脂がトロリと乳化。醤油のカドがうまくマスキングされてまろやかな口あたり。 アロチ本家 丸高 中華そば 600円 アロチ本家 丸高 和歌山県和歌山市友田町2─50 スープは半透明、見た目あっさりだが、豚骨のコクがしっかり出て、醤油の風味とバランスがよい。シンプルベースに個性ある味わいが程よくブレンドされた感じで飽きない。 「中華そば」という呼び名が普通。麺はストレートで スープは、濁った豚骨醤油味と澄んだ醤油味の2通り 和歌山では「中華そば」という呼び名が普通。「ラーメン」というとインスタントラーメンがイメージされる。呼び名同様、味も見た目も昔ながら。懐かしい中華そばが堪能できる。 麺はストレートで量は少なめ。具はチャーシュー、メンマに青ネギという素朴なパターンに、なるとでなく渦巻き模様のかまぼこをのせる店が多いのが特徴。 ほとんどのお店に、テーブルに早寿司とゆで卵が置かれている。早寿司とはサバの押し寿司のこと。中華そばを注文してから出てくるまでの間に、お客はこれらをパクパク食べてしまう。中華そばを食べ終わった後、また早寿司をつまむお客もいる。控えめな量の中華そばのボリュームを補うとともにスープの味にもよく合っている。他の地域にはまず見られない独特のシステムである。 スープの系統は2通りに色分けされる。1つは濁った豚骨醤油味のマイルドなタイプ。もう1つは澄んだ醤油味の東京風に近いタイプである。 前者は1953年に創業した「井出商店」から始まる。当初はここも澄んだスープだったそうだが、煮詰まって濁らしてしまったところが、そのスープにコクがあったという。女手ひとつで店を切り盛りしていた井出つや子さん(故人)が生み出した、九州とは別な流れの豚骨スープである。この濃厚な味が人気を呼び、井出商店で修業して店舗を構えた店や、井出商店の味を目指して開店した店などが和歌山に広がり、“井出系”という一つの流れができた。 和歌山中華そばの原点は屋台文化にある。戦後、市電の駅近辺に中華そばの屋台が出るようになった。特に一番の繁華街である車庫前駅周辺には競い合うように中華そばの屋台が並び、賑わっていた。この屋台の流れをくむ、澄んだ醤油味の系統は「車庫前系」と呼ばれる。 車庫前系の源流を作ったのは、1940年に出店した「丸高」のご主人である高本光二氏(故人)。当時は物資がなかったため、鰹節とじゃこを醤油で炊いてだしをとり、麺も自分で機械を作って打っていた。この高本氏の屋台が人気を呼び、忙しいときには近所の人が家族ぐるみで店を手伝った。使用人を8人も使っていた時期もあったという。このとき働いていた人々や、見よう見まねで覚えた人々が屋台を構えていったのが、和歌山中華そばの基盤となっている。 高本氏が麺作りのレシピを製麺業者に伝えて、大量生産を可能にしたことも、和歌山に中華そば文化が広がった要因の一つである。「丸京」「丸宮」「丸木」など、高本氏の「丸高」に習って、自分の名前の頭に丸を付けた屋号が和歌山には数多い。丸高の屋号は光二氏の長男在一氏と、弟の英一氏がそれぞれ引き継いで味を守っている。 光二氏の妻順子さん(当時74歳)の話によると、丸高以前にも屋台を引いていた店は存在していたらしい。丸高が屋台を出したのが1940年。関西ラーメンの始祖的存在である京都の「新福菜館」が1940年創業。九州ラーメンのルーツとされる「南京千両」が1937年創業。 和歌山の屋台がいつから出ていたかは定かではないが、西日本では両者と肩を並べるほどの古くから存在するラーメン処である。醤油や鰹節の発祥地である和歌山には、古くからラーメンが存在する基盤があったのかもしれない。あたらしい視点でラーメンを伝える情報誌!