行列店より右肩上がりの継続が大切

15歳でラーメン業界に足を踏み入れて以来、塚田兼司氏が、20年間で立ち上げたラーメン店は19ブランド26店舗。そのうち2軒目の居酒屋だけは「商売をなめていた」せいで閉店となったが、「それ以外は、期間限定出店や立ち退きなどは別として、後にも先にも1店舗たりともつぶしたことはない。会社全体の総売上げは右肩上がりを続けています」と言う。新しく出店するたびに、主力となるラーメンのコンセプトも屋号もガラリと変え、常に新しいラーメン作りに挑み続ける塚田氏こそ、ラーメンクリエーターと呼ぶにふさわしい。その創造力の源とは?

ラーメンを信州のソウルフードに

質実剛健かつ繊細なクリエーター目指す
──ラーメン市場の動向は?
塚田 たとえば無化調の店がはやると、その一方で業務用スープが進化する。ラーメン専門店がはやると、市販のインスタントラーメンが伸びる。こってり系が人気を集めると、清湯系のあっさりラーメンが登場する……と、ラーメンのマーケットって、相反するものが〝やじろべい〟のような絶妙のバランスを取りながら、市場全体を成長させてきたと思います。その傾向は今後も続くんじゃないでしょうか。

──競合相手が多い中で繁盛するには?
塚田 繁盛するかは、値段に対してうそのない材料と味を提供していれば、答えはちゃんと返ってきます。ラーメン職人としての仕事をしっかりやれば、やるほど、店は強くなる。「うそがない」という点では、原価率は35%前後はかけるべき。利幅が大きい店は一時的にはもうかっても長続きしません。自分はこれまで26店舗を立ち上げましたが、会社全体として売上げを伸ばしていることが、自分のやり方が間違っていないという答えだと思っています。

──セカンドブランド(屋号の違う店)を展開する理由は?
塚田 全国のラーメンを食べ歩いて、地元信州の人たちにもいろんなラーメンを知ってもらいたいと思ったのがきっかけでしょうか? 信州人はそばについてはうるさいですが、食文化について閉鎖的な地域なんです。15年前、低加水の自家製麺を使った本格豚骨ラーメンの店「けん軒」を出したときなんか、「麺が生煮えで気持ち悪い」とか言われて、大バッシングでしたから。それが15年間、着実に右肩上がりで、今では地元の人なら誰でも知っている〝ソウルフード〟になっています。信州に新しいラーメンを紹介したいというのが、セカンドブランド展開の原動力のひとつになっていますね。

──新しいラーメンのアイデアはどこから?
塚田 売れるラーメンを作るのって、実は難しくないんです。量を多くし、インパクトのある味にして、値段を安くして……といくつかのツボさえ押さえれば、行列店は作れます。でも、それは僕が作りたいラーメンじゃない。僕が作りたいのは、誰もやったことのない新しい世界観のあるラーメン。自分が作っていてワクワクするようなラーメンを、みんなに食べてほしいんです。ラーメンといろんなことを組み合わせて、ラーメンの無限の可能性を100%引き出したいと思っています。立ち上げたいラーメンブランドが、まだ30くらいはありますね。ラーメンって、スペックが決まっているようで、絶対こうでなくてはならないという定義がない。自由度が高いからこそ、いろんな可能性があって、広がっていくんでしょうね。

──安定経営の秘訣は?
塚田 行列のできる店じゃなくて、〝潰れにくい店〟が僕のコンセプト。それを実現するには、ひとつには地域密着型で「この町のラーメンといえばこの店」と、地元の人に愛される店にすること。それと、意外と他ではやってないけど、ご飯物のメニューがあること。うちの店では、焼肉定食や炒飯にプラス150円で半ラーメンが付きます。ラーメンもうまいし、ご飯物も食べられるとなると、その店は強い。最近はご飯物のメニューのあるラーメン専門店も出てきましたが、うちは20年前からそれをやっています。

──最近のお客さんの傾向は?
塚田 たくさんのラーメン店を食べ歩いているお客さんが多く、知識が非常に豊かですよね。食べ歩きができる外食って、ラーメンくらいじゃないかな? そして、いわゆる〝ラーメンフリーク〟の人たちだけではなく、おそらく日本人全員が自分の好きな店の〝マイラーメン〟がある。ほかの外食では考えられないですよね。だからこそ値段についても、お客さんの見方は厳しい。1000円のスパゲティは許されても、ラーメンは600円以上になると「高い!」と言われますから。日本国民みんなでラーメンを監視している感じですよね。日本人みんなが大好きなラーメンだからこそ、新しいラーメン、今までになかったラーメンを作りたいと思って、ラーメン職人魂に火がつくんでしょうね。


塚田氏の愛用食材&資材ベスト3 【サイフォン】

ZczjvqKj世界で唯一の製法を考案
「本枯節中華そば 魚雷」のラーメンのスープは、サイフォンなしには誕生しなかった。最高級の本枯節をサイフォンで抽出し、鰹節の命をスープに吹き込むという世界で唯一無二の製法を塚田氏は6年かけて考案する。


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塚田氏の愛用食材&資材ベスト3 【枕崎の本枯節】

ひっくり返るほど感動
高級料亭でも限られて使われている“国内最高峰”の鰹節。「出合った瞬間、ひっくり返るほどうまかった」とほれ込んだ一品。鰹節職人が伝統的製法で作った鰹節を、問屋で2〜3年、天日干しを繰り返し、うま味をさらに増す。


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塚田氏の愛用食材&資材ベスト3 【マルヰ醤油】

イメージに対し変幻自在にマッチ
地元信州の醤油醸造所が昔ながらの桶仕込みで作る醤油。店主は伝統的醸造法を守りながらも、新しい醤油作りにも挑むチャレンジ精神にあふれる人物。「僕がイメージする味作りに変幻自在に応えてくれる大切な人と醤油です」と言う。


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塚田 兼司(つかだ・けんじ)

15歳のときのアルバイトから始まったラーメン人生
1971年長野県長野市生まれ。
5歳のときに父親が他界。中学卒業後、地元のラーメン店でアルバイトを始めたのが、ラーメン人生のスタート。「寡黙な店の親父さんが父親のように思えて、その背中を見ながらいろんなことを学ばせてもらいました」と“親父さん”の恩は一生忘れない。アルバイトをしながらも、地元の友人と毎日遊びまわる青春時代を過ごす。高校卒業後、17歳で従業員となり、20歳のときに約半年、リュックサックを背負って全国のラーメン店を食べ歩く。22歳のとき「親父さんに無理矢理、独立させられた」結果、店を引き継ぐことに。全国のラーメンを食べ歩いた経験が、セカンドブランド(屋号の違う店)展開へとつながり、現在、「気むずかし家」(長野県)、「けん軒」(長野県)、「魚雷」(東京)など11ブランド12店舗およびFC、海外店も展開中。

(有)BOND OF HEARTS

本社所在地=長野県長野市稲田1─42─3
設立=1993年12月/資本金=500万円
従業員数=100人
事業内容=ラーメンブランドの開発、ラーメン店のプロデュースおよび運営

adminコラム行列店より右肩上がりの継続が大切 15歳でラーメン業界に足を踏み入れて以来、塚田兼司氏が、20年間で立ち上げたラーメン店は19ブランド26店舗。そのうち2軒目の居酒屋だけは「商売をなめていた」せいで閉店となったが、「それ以外は、期間限定出店や立ち退きなどは別として、後にも先にも1店舗たりともつぶしたことはない。会社全体の総売上げは右肩上がりを続けています」と言う。新しく出店するたびに、主力となるラーメンのコンセプトも屋号もガラリと変え、常に新しいラーメン作りに挑み続ける塚田氏こそ、ラーメンクリエーターと呼ぶにふさわしい。その創造力の源とは? ラーメンを信州のソウルフードに 質実剛健かつ繊細なクリエーター目指す ──ラーメン市場の動向は? 塚田 たとえば無化調の店がはやると、その一方で業務用スープが進化する。ラーメン専門店がはやると、市販のインスタントラーメンが伸びる。こってり系が人気を集めると、清湯系のあっさりラーメンが登場する……と、ラーメンのマーケットって、相反するものが〝やじろべい〟のような絶妙のバランスを取りながら、市場全体を成長させてきたと思います。その傾向は今後も続くんじゃないでしょうか。 ──競合相手が多い中で繁盛するには? 塚田 繁盛するかは、値段に対してうそのない材料と味を提供していれば、答えはちゃんと返ってきます。ラーメン職人としての仕事をしっかりやれば、やるほど、店は強くなる。「うそがない」という点では、原価率は35%前後はかけるべき。利幅が大きい店は一時的にはもうかっても長続きしません。自分はこれまで26店舗を立ち上げましたが、会社全体として売上げを伸ばしていることが、自分のやり方が間違っていないという答えだと思っています。 ──セカンドブランド(屋号の違う店)を展開する理由は? 塚田 全国のラーメンを食べ歩いて、地元信州の人たちにもいろんなラーメンを知ってもらいたいと思ったのがきっかけでしょうか? 信州人はそばについてはうるさいですが、食文化について閉鎖的な地域なんです。15年前、低加水の自家製麺を使った本格豚骨ラーメンの店「けん軒」を出したときなんか、「麺が生煮えで気持ち悪い」とか言われて、大バッシングでしたから。それが15年間、着実に右肩上がりで、今では地元の人なら誰でも知っている〝ソウルフード〟になっています。信州に新しいラーメンを紹介したいというのが、セカンドブランド展開の原動力のひとつになっていますね。 ──新しいラーメンのアイデアはどこから? 塚田 売れるラーメンを作るのって、実は難しくないんです。量を多くし、インパクトのある味にして、値段を安くして……といくつかのツボさえ押さえれば、行列店は作れます。でも、それは僕が作りたいラーメンじゃない。僕が作りたいのは、誰もやったことのない新しい世界観のあるラーメン。自分が作っていてワクワクするようなラーメンを、みんなに食べてほしいんです。ラーメンといろんなことを組み合わせて、ラーメンの無限の可能性を100%引き出したいと思っています。立ち上げたいラーメンブランドが、まだ30くらいはありますね。ラーメンって、スペックが決まっているようで、絶対こうでなくてはならないという定義がない。自由度が高いからこそ、いろんな可能性があって、広がっていくんでしょうね。 ──安定経営の秘訣は? 塚田 行列のできる店じゃなくて、〝潰れにくい店〟が僕のコンセプト。それを実現するには、ひとつには地域密着型で「この町のラーメンといえばこの店」と、地元の人に愛される店にすること。それと、意外と他ではやってないけど、ご飯物のメニューがあること。うちの店では、焼肉定食や炒飯にプラス150円で半ラーメンが付きます。ラーメンもうまいし、ご飯物も食べられるとなると、その店は強い。最近はご飯物のメニューのあるラーメン専門店も出てきましたが、うちは20年前からそれをやっています。 ──最近のお客さんの傾向は? 塚田 たくさんのラーメン店を食べ歩いているお客さんが多く、知識が非常に豊かですよね。食べ歩きができる外食って、ラーメンくらいじゃないかな? そして、いわゆる〝ラーメンフリーク〟の人たちだけではなく、おそらく日本人全員が自分の好きな店の〝マイラーメン〟がある。ほかの外食では考えられないですよね。だからこそ値段についても、お客さんの見方は厳しい。1000円のスパゲティは許されても、ラーメンは600円以上になると「高い!」と言われますから。日本国民みんなでラーメンを監視している感じですよね。日本人みんなが大好きなラーメンだからこそ、新しいラーメン、今までになかったラーメンを作りたいと思って、ラーメン職人魂に火がつくんでしょうね。 塚田氏の愛用食材&資材ベスト3 【サイフォン】 世界で唯一の製法を考案 「本枯節中華そば 魚雷」のラーメンのスープは、サイフォンなしには誕生しなかった。最高級の本枯節をサイフォンで抽出し、鰹節の命をスープに吹き込むという世界で唯一無二の製法を塚田氏は6年かけて考案する。 塚田氏の愛用食材&資材ベスト3 【枕崎の本枯節】 ひっくり返るほど感動 高級料亭でも限られて使われている“国内最高峰”の鰹節。「出合った瞬間、ひっくり返るほどうまかった」とほれ込んだ一品。鰹節職人が伝統的製法で作った鰹節を、問屋で2〜3年、天日干しを繰り返し、うま味をさらに増す。 塚田氏の愛用食材&資材ベスト3 【マルヰ醤油】 イメージに対し変幻自在にマッチ 地元信州の醤油醸造所が昔ながらの桶仕込みで作る醤油。店主は伝統的醸造法を守りながらも、新しい醤油作りにも挑むチャレンジ精神にあふれる人物。「僕がイメージする味作りに変幻自在に応えてくれる大切な人と醤油です」と言う。 塚田 兼司(つかだ・けんじ) 15歳のときのアルバイトから始まったラーメン人生 1971年長野県長野市生まれ。 5歳のときに父親が他界。中学卒業後、地元のラーメン店でアルバイトを始めたのが、ラーメン人生のスタート。「寡黙な店の親父さんが父親のように思えて、その背中を見ながらいろんなことを学ばせてもらいました」と“親父さん”の恩は一生忘れない。アルバイトをしながらも、地元の友人と毎日遊びまわる青春時代を過ごす。高校卒業後、17歳で従業員となり、20歳のときに約半年、リュックサックを背負って全国のラーメン店を食べ歩く。22歳のとき「親父さんに無理矢理、独立させられた」結果、店を引き継ぐことに。全国のラーメンを食べ歩いた経験が、セカンドブランド(屋号の違う店)展開へとつながり、現在、「気むずかし家」(長野県)、「けん軒」(長野県)、「魚雷」(東京)など11ブランド12店舗およびFC、海外店も展開中。 (有)BOND OF HEARTS 本社所在地=長野県長野市稲田1─42─3 設立=1993年12月/資本金=500万円 従業員数=100人 事業内容=ラーメンブランドの開発、ラーメン店のプロデュースおよび運営あたらしい視点でラーメンを伝える情報誌!