淡麗系が二枚看板に肉薄

住民360万人以上の大都市、ラーメン発祥の地ともいわれる横浜は、中華街の影響を受けた「昔ながらのラーメン」と、全国区に上りつめた「家系」の二枚看板が有名だ。だが、ここ10年は、東京と同じように多様化が顕著だ。中でも「淡麗系」といわれるラーメンが活気を帯びている。淡麗系とは、あっさりとしながら、素材のうま味やバランスを重視したラーメンのこと。長い間続いた濃厚時代から淡麗系へのシフトが進んでいる。
代表格は1986年にオープンした「支那そばや」だ。店主の佐野実氏は自ら全国の生産者を訪れ、自分の舌で納得した食材のみを使用し、バランスを重視したコクのあるラーメンを作り上げ、全国の多くのラーメン店に影響を与え続けている。96年にオープンした「くじら軒」も横浜を代表する淡麗系。99年にオープンした「中村屋」の店主・中村栄利氏も著書「髄道(だしどう)」で多くのラーメン店に影響を与えている。その後も「麺や 維新」(2004年)、「G麺7」(09年)など、横浜淡麗系に欠かせない店が人気を博している。
新横浜ラーメン博物館 中野正博

adminコラム淡麗系が二枚看板に肉薄 住民360万人以上の大都市、ラーメン発祥の地ともいわれる横浜は、中華街の影響を受けた「昔ながらのラーメン」と、全国区に上りつめた「家系」の二枚看板が有名だ。だが、ここ10年は、東京と同じように多様化が顕著だ。中でも「淡麗系」といわれるラーメンが活気を帯びている。淡麗系とは、あっさりとしながら、素材のうま味やバランスを重視したラーメンのこと。長い間続いた濃厚時代から淡麗系へのシフトが進んでいる。 代表格は1986年にオープンした「支那そばや」だ。店主の佐野実氏は自ら全国の生産者を訪れ、自分の舌で納得した食材のみを使用し、バランスを重視したコクのあるラーメンを作り上げ、全国の多くのラーメン店に影響を与え続けている。96年にオープンした「くじら軒」も横浜を代表する淡麗系。99年にオープンした「中村屋」の店主・中村栄利氏も著書「髄道(だしどう)」で多くのラーメン店に影響を与えている。その後も「麺や 維新」(2004年)、「G麺7」(09年)など、横浜淡麗系に欠かせない店が人気を博している。 新横浜ラーメン博物館 中野正博あたらしい視点でラーメンを伝える情報誌!